はとぶん

旅するゲームプロデューサーの妄想ブログ

インドネシアでわしも考えた

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つい先日7泊9日の海外一人旅から帰ってきた。ジャカルタから始まり、ジャワ島からバリ島へと東に向かう行程で、連日30度近い暑さの中貧血を起こしそうになるも、よく食べよく歩きよく寝て、特に事故もなく無事に帰ってこれた。旅の詳細は別途報告するとして、今回は旅の移動中ふと気付いたことに触れたい。『可処分時間の過ごし方』についてだ。

可処分時間を如何に過ごすか?これは常日頃気にかけている事項だ。プライベートはもちろんだが、会社に向かう移動時間、仕事中一服しているときやトイレINしているときもこの時間を有効に使いたいと考える。目・耳・手の何れかが暇しているなら、そこに仕事を与えマルチタスク化したい。運転中は英会話(ラジオ)、一服中やトイレIN しているときはゲームやSNS。まあこんな感じで日常生活においてスマホがかなり重要な役割を担っている。

ところが海外に行くとネット接続場所・時間が極端に絞られるため、スマホの使い道が大きく変わる。いやフリーSIMやポータブルWiFi端末を借りればそんなことはないのだが、なまじ野良WiFiに接続できる場所が多いということもあり、そこは何とか贅沢せずに過ごしたい。そういうわけで今回の旅も野良WiFiを頼りに、一切の端末を借りずに渡航したわけ。

外出中は基本地図アプリを使って現在地の確認とカメラを使った撮影のみ。SNSまとめサイト閲覧、日本にいるときは頻繁に起動していた『ポケモンGO』も(バッテリー消費量が激しいこともあり)まず起動しない。メールも確認しないし、「何か良いものないかな~?」なんて気持ちでAmazonを見に行くこともない。

そういう状態が何日か続くと、いままで日課の様に行っていた様々な"暇つぶし"のプライオリティがぐっと下がる。「そういや最近ツイッター見てないなー… まあいいか~」こんな感じになるわけ。ネットにつながっていないときの5分,10分の可処分時間は撮った写真の確認やSNSに投稿する下書きに使う。夜はホテルINしているのでネットも繋がるし、1,2時間の可処分時間があるのだが、まあ疲れて寝ますわな。普段なら映画の1本でも観ようとするが、帯域があまり良くないので停滞されるストレスを考慮してそもそも観ようという気になれない。バスや電車での移動時間は景色を見る。飛行機の移動時間は本を読む。要するにネット環境が極端に制限されるので、ネット依存しない行為にだんだん重きを置いていく様になる。

 

そんなある日、バスに揺られながらふと「ぼ~」としている自分に気付いた。たぶん頭の中で何か物語を展開していたのだと思う。無意識に物語を想像するなんて恐らく小学生か中学生の頃以来ではないか? 子供の頃は様々な物語を頭の中で生んでいた。「この後どうしよう…?」とか悩むこともなく、キャラ達が暴走して勝手に物語が進んでいく。まあ何かしらの作品に影響されたようなキャラ・世界観・ストーリーなのだが、それでも夢中に物語を想像していた。大人になって、ある日それをやらなくなっている(できなくなっている)自分に気付き、なぜできなくなったのか? あの原動力は何だったのか? 影響される様なコンテンツがなくなったのか? などと疑問に思ったことがある。そしてその答えが見つかった気がした。

そう、あの頃の自分は"暇"だったのだ!

子供の頃は可処分時間なんて意識もなかったが、とにかく暇していれば何度も同じ玩具で遊び、何度も同じ本を読み、それすら飽きてしまえば"想像"するしかなかった。だから自分はクリエイターになりたかったのだ。そんな単純なことをなぜ忘れていたのだろう? そして現在、可処分時間をくまなく埋めることで時間を有意義に過ごしている気になっているが、その結果想像への原動力を失っていることは確かであろう。

まあそれに気づいたところで急にライフスタイルが変わるわけがなく、帰国して2日目の今日も気が付くとポケモンを探しているわけなのだが、それでもこの"気付き"は自分にとってデカい。今後すこし意識して、スマホを家に置いたまま外出して「手持無沙汰な時間を過ごしてみようかな~」なんて思う次第である。