はとぶん

旅するゲームプロデューサーの妄想ブログ

ゲームのシナリオについて思うこと

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先日ドラクエ11の旅路が終わった。
何だかんだで70時間以上プレイした。たぶん過去のナンバリングタイトルの中でも一番長く遊んだのではないか?
まあ正直ラスボス前で少し食傷気味になっていたのだが、そこはユーザーとしての義務感で乗り越えて、裏シナリオは冒険の日々の名残惜しさで進めていた。
かなりの可処分時間をこれに費やしてしまったが悔いはない。それがドラクエあり、それがコンソールゲームの楽しみ方なのだ。

 改めて気付いたのだが、このシリーズ見事なまでに勧善懲悪なテーマというかシナリオを貫いているよね。
昨今キッズ向けの戦隊ものだって"悪"の存在意義を語ることがあるのに対し、このシリーズの敵(ラスボス)は"絶対悪"、そして憎む以外の選択肢がない。
何故そいつが悪行を働くのか?何故そこまでの存在になったのか?その疑問を一切ユーザーに投げかけない(ウラで少し語っているけど)。ラスボスは潔い程の悪であり、そしてその名の通り最後の障壁だ。
しかしプレイしていて、それを幼稚な話だとは思わない。目標がぶれないから逆に少しプレイが離れても帰ってこられるのかなー?とか、割と都合よく解釈している。

 

自分はゲームデザイナーとしてあまりシナリオに重きを置く方ではない。…というと語弊があるけど、テーマの深さや脚本の美しさを重視していないという意味。

映画や本の様な完全受動態のメディアとゲームの様なインタラクティブ性のあるメディアでは、どちらがシナリオに対しての没入感が高いかと言ったら、それは前者であり絶対的に覆すことはできないと信じている。伝え方も全然違うので、逆に映画や小説にはできないシナリオの味わい方もあるのだけれど、その手法は物語への感情移入を促すのとは別ベクトルにあるものだ。
(それでもクリエイターとしての本文は「自分の考えたお話で人を楽しませること」に尽きるとも考えているが…)

 

そもそも楽しみ方の主体が違う。ゲームの場合はプレイであり、プレイが成功したことで得られる達成感を目的としている。その達成感をより高める為に、シナリオが重要な役割を持っている。
シナリオのテーマが何であろうとそれが深かろうと浅かろうと、ゲームプレイに対する見返りとしてそのゲームの設定や世界観とマッチしたシナリオが用意されていればいい。そしてゴールへと導くためのモチベーションを(プレイが作業だと思わないレベルで)喚起させてくれればいい。疎かにしているのではなく、プレイに見合ったシナリオを用意すべきだという考え方。


受動型メディアのシナリオが起承転結というバランス配置で構成されているのであれば、ゲームのシナリオは起承承承承承承承承承承承承承…転結とそんな構成イメージで考えている(この"承"の中に細かく達成感を得るための小クエストがあるのだが)。

でもテーマが複雑だとそもそもプレイに没入しづらいし、ましてや状況を長々と説明する演出はゲームそのもののリズム感を崩してしまうので、OPやED以外ではやるべきではないというポリシー。そういった諸々の事情で、ゲームはシナリオを語りづらい(というか制限される)。

逆にゲームの場合はNPCの何気ない会話やサブミッションなどで、物語の細部や本筋とは関係ない小噺を詰め込むことができる。
プレイヤーの参加意識が高ければ、世界観に対してのより深い知識を得てどっぷり浸かることもできる。
作り手として、そういう細かいところにコダワリを入れ込むのは結構楽しい。

 

そんな自分だが、それでもユーザーとして(人のつくった作品を)遊ぶ場合は、勿論テーマやシナリオそのものにも期待するし、プレイして感動して涙を流すこともある。いわゆるアドベンチャーゲームの様に、その先の「シナリオが知りたい欲求」だけでモチベーションをキープする作品もある。
でもやっぱりその感動は、自分のプレイ(努力)によって得られる達成感をシナリオが更に煽ってくれた結果なのだと考えている。
ドラクエシリーズも、途中途中ボスを倒した後の解放感や最後に得られる爆発的な冒険の達成感が味わえるからこそ、この苦行の様な長い旅路が続けられるのだれど、正直その場その場で発生するシナリオイベントがどんなものだったか覚えていない。
(まあこのゲームの場合名前を付けるところや主人公が一切喋らないところなど、ユーザーが感情移入しやすい様に設計されているのだけど)

でも表シナリオのベロニカちゃんの件はショックだった。。。